自分の醜さを認めて受けいれることでありのままの自分で生きられます②

前回からの続きになります。

「醜い自分」と書きましたが、果たしてピン!とくる人はいるでしょうか?醜い自分ってなんだろう?っと思う人のほうが圧倒的に多いのではないでしょうか?

そうなんです。どれだけ謙遜していても、どれだけ謙虚にふるまっていても、どれだけ「自分なんてまだまだです」と言っていても、根本的に人は自己評価がメチャクチャ高いんです。

・私は仕事を頑張っている
・私は実に仕事をよくやっている
・私はとても繊細だ
・私は繊細がゆえにとても傷つきやすい

あげればきりがありません。誰しも自己評価がメチャクチャ高いです。

私は悪くないのよ~私は可哀そうなのよ~私は生真面目なのよ~

結局これが何に繋がっていくかというと

「私は絶対悪くない!」

っとなってしまうのが悲しいオバカな人間の性なのです。

自分の落ち度を心の中では薄々分かっているのに、ありとあらゆる屁理屈で自分を納得させて、

「私は絶対悪くない!」

っと、ほとんどの人がなってしまいます。

これでは絶対に成長しません。でもね・・・ひょっとしたら成長しなくてもいいかもですね・・・結局、本当に正直な人が損をしているのが現実ですから・・・

そう考えるとわざわざ成長しなくてもいいのかな~っとさえ思えてきましたよ・・・なんだか虚しいですね・・・。

しかし、それでも自分に正直な人、自分と正面から向き合って生き苦しさを感じている人もいるので、書き続けることにしますです。

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