自分の醜さを認めて受けいれることでありのままの自分で生きられます③

前回からの続きになります。

経験則から言うと、大多数の人が「自分の醜さ」に気付いておりません。自分自身のずるさ、汚さ、いやらしさ、やましさに気付いてないんです。

会社や他、様ような人間関係の中で、自分の醜さを素直に認め

「どうもすいませんでした、ごめんなさい。」

と、謝ってきた人にお目にかかったことがありません。

わたくしもですね、いい加減腹が立つと ”グサッ!”っと、相手の言動の矛盾を突くんですね。そうすると、ほとんどの人が烈火のごとく怒ります。そこからたけり狂うのです。

こちらが相手の言動の矛盾を教えてあげているのに、怒って怒って怒りまくります。わたしには

「自分は悪くない!自分は悪くない!自分は悪くない!自分は悪くない!自分は悪くない!」

っと聞こえるんですよね・・・。ほとんどの人がこうなんで人間て悲しい生き物ですね。まあ、ここらへんを怒らずに感情を乱さず、たんたんと言い訳や綺麗ごとに変換できるなら、政治家や詐欺師になれますけどね。

話がまた脱線してしまったでしょうか・・・どんなに気を付けていても、人間は完璧にはなれません。

どんなに努力をしても、楽をしたい自分を追い出すことはできません。

どんなに平常心を保とうとしていても、制限速度で走っている前の車に腹を立てずにはいられません。

自分の中から”悪”を追い出すことは、人間は不可能なのです。

漫画ドラゴンボールは”悪”を追い出したら”神”になりました。このくだり、通じたでしょうかね・・・通じてくれればいいな~。

長くなりました。続きはまた次回に書きたいと思います。

愚痴聞き 電話 話相手 優しさの森  小柴将